ボケております。
ここ数年間、人間関係が忙しかったのですが、そのせいというわけでもなく、なんのせいだかわかりませんが(運動不足は大きい)、私はだいぶボケてきております。
ここを病んだブログにしても仕方がないので、別のブログを立てました。
リンクを貼るかどうかは、そちらでしばらく文章を書いてから考えようと思います。
久々の更新がこんなのですみません。
(とはいえ読者の方がどのくらいいらっしゃるかわからないのですが)
ここ数ヶ月でいろいろとカタをつけて、なんとか前に進んでいると思われる9月1日でした。
紙の本
私にはやはり紙の本のほうが向いている、というなんでもないことを更新します。
感想を書こうと思うと容量がいっぱいのミニパッドではなかなか振り返りが難しい。
最近独り言がとても長いのでブログに書くべきではないのか、しかしそれを誰が読むのか、と葛藤しているフリをしています。
眠りがちな精神が目を覚ましていられる短い時間
おはようございます。
(深夜1:42)
心が暖かいと色んなものへの感度が上がって、世界が肌理細やかに見えます(触れます)。
どん底に心が冷たい時にも、世界の別の相貌について感度が上がることがありますが、それは多くは、この日記のような小さな星に記しておいてもいつかやっと誰かが訪れてそれに触れる前にネットから消えていたりするような、伝導率の低い出来事を多く捉えるタイプの感度のように思います。
いま私の心は珍しく持続的に暖かく、冷たい心の時には取りこぼして、防護ネットの間に消えていくものたちを思い出して拾うことができます。
おそらくこれは短期記憶を長期記憶にするために必要な温度なのだといまの私は思います。
それを私はしばしば失ったまま走り続けます。
とてもゆっくりと。
チョコレートの甘み、溶けやすさの具合のちがい、10代の頃に見た書店の本棚の、所定の位置の記憶、まだ読んでいない本たちの記憶、心の位置、想うことの位置、そしてずっと想っていくだろうといまの私が思っている、ある感情。
けれどやっぱり、いつかには、書き込んだ文字はいつのまにか古びて、そこにあった躍動を私は失うのです。
想いは、変化していきます。
それを丸ごと包むには、私が21年ほど避けてきた、物語が必要なのです。
衣子(仮名)さんの家には宝物が眠っている、と訪問のカウンセラーさんに言われました。
それは(その日見て頂いたいくつかの)本のことで、カウンセラーさんは、アガサ・クリスティーが子どもの頃空想好きだったことをラジオの英語講座で聴いた話をしてくれました。
私は先日初めて買った初クリスティーの「スタイルズ荘の怪事件」(ハヤカワ・クリスティー文庫)が、本の崩れ止めになっていることを思い出してカウンセラーさんの背中側からそれを取り出して見てもらいました。
私も(きっとクリスティーには敵わないけど)子どもの頃、空想好きでした。と照れながら話しました。
いまは上手く描けないのですが、その時に私は私が本来好きだった「物語」のことを思い出すことができました。ひとつの嘘もなく他者が照らし出してくれた私の一面を、時々私は強く記憶に残します。それは自動的です。
このぶぶんの雲が晴れていることが、どのくらい続くのかわかりませんが、端緒だけでも残しておきたく、久しぶりにブログを書いた次第です。
まだ書き足りない衣子より。
2:09
お父さんが出てくる物語
「ヘフツィール物語」A・レペトゥーヒン (訳)岡田和也(絵)きたやまようこ(未知谷)
を取り出してくる。
この作品は著者のレペトゥーヒンが娘の姉妹のために語った物語を編んだもの。
一見するすると読めてしまうおとぎばなしなのだが、『書き手のお父さん』に対する要求があったりなど物語世界と入れ子構造になった外部世界に対して登場動物(?)たちがさらっと自覚しているのが可笑しい。
今の私には著者の思想が見えるような物語が読めないので(ものすごく人アレルギーになっている時にそんな風になる)、単純に誰かのために描かれた、誘導の緩やかな物語が心に優しい。
あんまり寄り道したり静養している時間も、私自身の願いのためにはないのだけれど。
幽霊からの手紙何通目
六月三日:砂時計のようにどんどん零れ落ちて行く。
じっとしているとだんだん自分がガラスだけのような気がしてくる。
砂は全て零れ落ちてそこらへんに散らばっている。
とりあえず死なないために昼飯を食べる。
寒い。
止まったら終わりの気がして家の仕事を片づけていく。
片端からやっていく。
目標を立てる。
家を出て図書館へ行き小説のための資料を見ることにする。
自転車で行こうと考えていたが鍵を忘れ、歩くことにする。
頼まれたマーガリンを二つ買い、橋を渡り向こう岸へ。
目に付く花々をたどりながら図書館へたどり着く。
「特別整理日のため休館です」
仕方がないので古本屋へ行こうと思う。
途中の中古CD屋でブランキーのCDと「彼氏彼女の事情」のサントラを見つける。だがいつ出費があるかわからないのでなくなくおいてくる。
古本屋で「リンウッド・テラスの心霊フィルム」を買う。
古本屋に長居し過ぎて途中でおかしくなる。
文字の羅列斜めの意味の分からない字のながれ背表紙背表紙背表紙(落ち着け)配列激震なかのマニュアル精神構造(呼吸を忘れるな)宇宙のシュレディンガーの猫は元気か?……
息を吐き首を振り生きている振りに戻る。
大丈夫、生きている。
爪が手のひらに食い込んでいる。
店主が不振そうに見ていた。
けれど本を買う時は笑って会計してくれた。
サンクス。
帰りぎわ黄色くよどんだ夕日。川面に映って黄金に輝く。
キラ、キラ、
自分にも日が射している。
自分も太陽の対象物だとぼんやり思う。
砂時計の砂が落ちきる。
体が重く一歩一歩確かめるような歩きになり右と左の役割を再認識。
腕を振り眉をきつく顰めて何かを引き出そうとするがそれも旨く行かずだらだらとプール帰りの子供のように歩く。
今まで私を日々生かしていたものは何だったか。
昼御飯。
をろくに食べなかったからこんなに無力感に襲われるのか。
正解。
明解。
太陽を見返し腕を振り上げ偽物の気力を絞り家へたどり着く。
歌がない。
音がない。
リズムが消えている。
だから旨く歩けない。
そう思ったが何も何の歌も思い出せないそんな自分が
ただただ
茫漠と─。
(1999)
2017-08-28-21:28
口火、という言葉は美しい。