2001年3月25日

私には現実がよくわからない。
今朝目が覚めたら雨の音がして、ブラインドの外では鳩が唸っている。卵を生む所を探している。
私は手を伸ばし、カーテン越しにブラインドを揺らす。鳩は逃げていく。
私には現実がよくわからない。
梅雨のように生ぬるい空気に目覚めて、しばらく忘れていたことを自覚する。
私の現実は、もはや私だけのもの。闘いのように、言語化しつづけてきた実感は、少しくたびれて、よれよれのコートのように、言い古してしまった。私はくたびれて飽きてしまいかけたのだけれど。それでも口にしすぎたストーリーを憎むことは、なにも生まない。私が飽き飽きしたからといって、現実は都合よく去ってくれたりはしない。
でも私には現実というのが、よくわからない。
私のそれはもはや、すべての安心の上から遠のいている。
すべての共同幻想の上から、遠のいている。
翻って同じストーリーを語る人との、共同幻想を持とうという気も起きない。
それは同じことの裏返しだからだ。
私は私の現実を生きて、あの現実へと帰っていかなければならない。
私の生き実感した確かな、一つの現実を、あらわすことのできる言葉を持って。
ここから帰らなければならない。
痛みが鎮まり、症状は解け、何食わぬ顔であちら側に紛れ込んで生きていくことが可能でも。
私は忘れることができない。
私の落下において差し伸べる手の、届かなかった無念を。
諦め去って行く足音を動けずに聞くよりなかった無念を。
時というあいまいなものの手に私を任せ、あり様を見届けることもできなかった人たちの、できなかったことを。
私が切実に求めてやまなかったものを。
せめてその耳に、届く言葉にしてから、死ぬにも、忘れるにも、これからを生きるにも。


2001年3月25日に書いたHTMLファイルより、書こうとしていた小説の企画書の末尾に印刷し添付したものより。

2003/‎03/‎28 ‏‎0:37

25日の日記を書いたあと。
友人からメールが届く。
夜中。
それを読み涙を流す。

今わたしを疲れさせているこの激しい否定は、
わたしの中に棲んでいる。
否定をせずに行けるか?
どこまで生きていけるか、どこまで行けるのかと、明日をにらんで問いを投げた頃の強さで、もう一度闘えるか。


今日は休日で、病院へ行く。
ハナミズキが燭台のように枝を伸ばしてたくさんの花をつけていた。桜も少し咲き、ヤマブキのようなのも咲いていた。風が花びらを連れていき、うずをつくり、まぜあわす。
格好のおままごと日より。桜ご飯をつくれるね。

先週の木曜日に他所へ移るというカウンセリングの方とお別れし、99年、00年、01年、02年と見つづけてきた桜の並木たちともお別れ。あの商店街と並木道に植えられた植木鉢の花たちは、わたしの水だった。

とてもよく晴れた日で、行きに見た空を美しいと感じた。けれどそのあとコンマ1秒もあかずに胸が痛む。きれいなものをきれいだと感じるわたしを憎む、胸の中のやみ。絶望を感じた心の部分が、きっとそれはいつか突然に覆されるのよと言う。そして同時にそんな風に空を見てきれいだと言っている無邪気さが、あの男に付け入られる隙を生み、また被害を口にした声を憎ませる原因ですらあったのよと。告げる。
わたしはそれらの言葉を、ただ胸の痛みとして感じる。
きれいだと思う心を突き崩そうとする由来の知れない痛みとして。

痛みの向こうに悲鳴がすくんでいる。

最後だと知らずにいた長い沈黙のあと、わたしはそれを言葉にしてみる。
まだわたしはわたし自身のだまされやすさを、憎んでいると。
わたしのそうしたところを誰よりも大切に思ってくれていたであろう人たちがその時に際していちばんにわたしを責める人であったことを。
まだわたしは、わたしを許してはいないのだと思った。と。
そして、その時のわたしのすべてを省みずに肯定するのも変だし、すべてを否定することもできない、まだうまく線を引けない、と言った。

今日、病院にて最後のカウンセリングでどんな事を話したのと聞かれて、上のことを話す。
原因は自分にあったと思ってしまうのと問われてうなずいた。その時の人はもうだれもいなくて、だれももうそんなことを覚えていなくて、今やわたしの頭の中にしかそれはなくて、と、このところのわたしの言っているようなことを先生は言われたので少し笑ってうなずく。
一年続けたバイトで働いている今のわたし、新しいわたしになって、その時はそうだったかもしれないけれど(だまされるような)今とその頃と変わったという気はしない?と聞かれた。変わったところはあると思います。けれど人間そんなに変わらない。と答えた。
またもし同じような人間に会ったり、まったく別のでもわたしをだまそうとしている人、掠め取ろうとしている人の意図を、今度こそは見抜けるのだとはわたしは思わない。
あの時つけこまれたわたしの弱さ、現実感を失い茫然とするようなことは今はもうほとんど無いけれど、どういう風に強くなっても鍛えていっても、必ず人間には弱点というものがあるということを、わたしは忘れることはない。

今やわたしの頭の中にしかそれはないと先生は言われる。
それをどうにかしていくこと、新しくある今を大事に考えること、をしていけばそんなに過去のことは考えなくなる、遠くなっていくと、これまで繰り返し、言われたことと同じように先生は言った。これだけ長い年月が経ってもう許してあげなければかわいそうだとも言った。それにはわたしは涙した。今を大事にし、過去を手放すことを強調する先生に、わたしは自分の言葉で言い換えた。
悔いがあるとして、そこに返していくものがあるとして、それをするのは、前に向かってなにかをしていくことだと思う。

今やこれはわたしの頭の中にしかない。
それは今も過去ではなく現実としてこの日々の思考の狭間に侵入してくる力強いものだ。
けれどわたしはそれを、みずからを否定する言葉に抵抗しつづけるだけに消耗することで、無駄にしたくないと今思う。
この葛藤を人の中に持ち込むことを怖れる気持ちから、ほとんど攻撃的なまでに人の反応を怖れることに終始する日常を、静めたいと願う。
わたしを責めた人たちの言葉を赦し、
その締めつけた言葉の腐った紐を解き、
みずからとそれを放った人への恨みを放ちたいと願う。

わたしは過去でできている。けれど作り出す未来でありたい。
希望でありたい。

‎2003/‎03/‎28 ‏‎0:37「25日の日記を書いたあと.doc」

金子千佳「遅刻者」を読んでいて

この言葉の連なりが私の息を苦しくさせる。
すべて「あなた」と呼びかけるものを、一度真っ黒に塗りつぶしたあとの私は「抽象的な言葉」を禁じた。
そのようなものはお友達同士でやりなさいという嘲笑や、そもそもの「あなた」の位置に空いた多くの空隙が。
考えていることを曖昧なままで話す同好の士など失って久しい私には。
(曖昧なものを信仰している人なら、たくさんいる。そして曖昧なものを型抜きして楽になりたいという欲望に追い回されて疲弊した人たちは深い沈黙を選ぶ。二度と名付けられないように。その人たちはなによりも同じように曖昧なまま存在する誰かを深く憎む)
そういうからくりを一度知ってからは。
私はもう昔のような文を書かない。

人形のほうは

なんとなく雑多になるので「はてなブログ」のほうに移そうと思い下書きに入れる。
あまり自分にしか意味のない更新しかできていない。
それでいいとも思う。
それではいけないとも思っている。

「図書館の魔女」高田大介/の感想のメモをちょびちょび足して行っている。これも私にしか意味のない更新。

「図書館の魔女」高田大介

◆上巻
P.109辺りを読んで泣いている。
泣いているというよりは涙が勝手に落ちる。
私はあとから来た人間。
時代の一回性。

P.167
"どこか不思議そうな、言問いたげな表情をすら浮かべていた"
"なんだか怒っているようにも見えるその表情"
"彼女がしばらくは「戻ってこない」ことを承知しているよう"

P.173 L6〜13

P.374〜382

p.398読み終えて「安心する」。

p.479〜492
ホームズを読んでいる時のようにワクワク。

p.509を読みはじめてまた安堵。

◆下巻
p.85押しれて

p.119

p.139※

p.201
変拍子と軍歌!
(じゃなくて二拍子、二分の六拍子? などと軍歌)

p.381

夢の道標


夢もまだ醒めないままの瞳で
青空を指さして 
あなたはもうずっと先へ行ってしまった

私は地平線を見る 
明けることも暮れることもない薄桃色の薄明が
古びてもなお張りついている
暗い箱の一面で
私は昔の未来を空に描いてみる

あなたは絵のなかで 細い指をあげ  
雲に描かれた夢の道標を  
知らせようとしている  
未来へ  
未来へ   

 
覗き窓はもう消えてしまったのか  
私の心は暗いのに  
映し出されるかげろうをもて  
いつのまにか肌の痛みも消えて
 

 2001