踊り場より

本を読み終えて、これだけ落ち着いて満足した心地になったことがしばらくあっただろうか。分厚い本を閉じ、脇に置いて、壁にもたれる。

言葉にもならないような考えをただ巡るためだけに巡らせていると現前に踏み込んできて止まった音がピアノのメロディだと気づいた。その瞬間にも遡ってメロディらしくなっていく。
知らない曲のよく知っている低音の響きが一番手前まで踏み込んできたところで止まった瞬間に気づいてから、それからしばらくキルティングのレッスンバッグ(母のお手製)やそこに詰めた練習曲集のくたびれた側面、電子ピアノのある部屋の絨毯の匂いや白鍵を離した時に鳴る乾いたプラスチックの軽い音などを思っていた。
連想にまかせ質感から思い出すことにする。いくつもの知っている曲の響きが知識での連想においでよと繋げようとするのを素知らぬふりして、これはもう何度も思い出してしまったアップライトの蓋に指で描いた、何回練習したかという跡をその判読できない指の跡の曇りの塊として画として見る。
交通事故の、帰り道、ピアノの、怒られたので怒っていて被ったパーカーのフードで見えなかったトラック。
理性がなぜピアノの帰り道に横断歩道をわざわざすぎて道の真ん中を渡ったのか(しばらく歩道の端に残っていた白いチョークの○)、別の日ではなかったのかと問うのだけど、ピアノの帰りに、という脈絡はその感じを譲らない。
転んで、見ていたおじさんと行った交番で後にも先にも生涯で一度だけ筋肉疲労ではなく膝が震える。私はその時に感じたことを覚えていないけれど膝は死ぬということを認識している。丸い椅子。
明るいピアノの和音を展開した曲とそれをよく弾いていた幼い友人。ブランコで尋ねた彼女の幼馴染を彼女は好きかと、つまらないことを尋ねると思われたと思っていたけれどただ戸惑っただけだったのかもしれない。目の前の友人が自分の親しい友へ恋するということに。隔たったのは私だったけれどその時に感じた、自分は彼女の持つ永遠性とは違うものに踏み出そうとした、私の好みはじめたものが彼女の目に映る時のわからなさを、今はじめて許すことができたと実感を知らせる涙が幾筋も通り落ちていった。