2001年3月25日

私には現実がよくわからない。
今朝目が覚めたら雨の音がして、ブラインドの外では鳩が唸っている。卵を生む所を探している。
私は手を伸ばし、カーテン越しにブラインドを揺らす。鳩は逃げていく。
私には現実がよくわからない。
梅雨のように生ぬるい空気に目覚めて、しばらく忘れていたことを自覚する。
私の現実は、もはや私だけのもの。闘いのように、言語化しつづけてきた実感は、少しくたびれて、よれよれのコートのように、言い古してしまった。私はくたびれて飽きてしまいかけたのだけれど。それでも口にしすぎたストーリーを憎むことは、なにも生まない。私が飽き飽きしたからといって、現実は都合よく去ってくれたりはしない。
でも私には現実というのが、よくわからない。
私のそれはもはや、すべての安心の上から遠のいている。
すべての共同幻想の上から、遠のいている。
翻って同じストーリーを語る人との、共同幻想を持とうという気も起きない。
それは同じことの裏返しだからだ。
私は私の現実を生きて、あの現実へと帰っていかなければならない。
私の生き実感した確かな、一つの現実を、あらわすことのできる言葉を持って。
ここから帰らなければならない。
痛みが鎮まり、症状は解け、何食わぬ顔であちら側に紛れ込んで生きていくことが可能でも。
私は忘れることができない。
私の落下において差し伸べる手の、届かなかった無念を。
諦め去って行く足音を動けずに聞くよりなかった無念を。
時というあいまいなものの手に私を任せ、あり様を見届けることもできなかった人たちの、できなかったことを。
私が切実に求めてやまなかったものを。
せめてその耳に、届く言葉にしてから、死ぬにも、忘れるにも、これからを生きるにも。


2001年3月25日に書いたHTMLファイルより、書こうとしていた小説の企画書の末尾に印刷し添付したものより。