書けない時は書かなくてもいいんだぞ、と自分に呼びかけてみるも、寝る前に一文書きたいという欲望に負けてキーボードをカタカタやっている。
(ラムネで眠気を一時的に追い払っている)
このごろ体力の低下により引きこもり度が上がって、ますます「ものを考える」ことのできない人間になっている。正確には「考えたことをピックアップするための時間」を持っていないことが一番の根深い原因だと思う。
心や感情が「なにか」に擦り切れている。その「なにか」がよく分からない。
それは現実とかトラウマとかいったはっきりしたものではなくて、もっと生理的なものだと思う。
暇であることやその瞬間がこわいということは何度となくTwitterなどで呟いてきたと思う。
そういう時に浮かび上がってくることはどうしても碌なことではないから、あまり嫌な感情と向き合いたくなかった。
それは主には私自身の誰か他者を責める怒りの感情の尽きない底の深さを突きつけてくる時間だった。(怒って当たり前の扱いを受けてきたことは、書くまでもないとしても)
この暇な時間というのが、創作にはものすごく大事な時間で、ぼーっとしている時に人は記憶の整理や定着をしていて、ひょんなことを思いつくこともある。
おいでおいで、ひょんなこと。
ネットネイティブではない私は、スマホの通知音があまりに連続すると、スマホを窓から投げたくなる。そのために3時間おきなどで要約通知にしていたら、仕事に支障をきたしたことがある。ストレスの限界で「死ぬ」という人と離れていたら、相手が二度と会えない存在になったこともある。なんでこんな軽薄な箱を人類はライフラインにしたんだろう。
緊急連絡が来る可能性が比較的高かった母も祖母も亡くなり、即時通知に一喜一憂する必要もあまりない(高齢の父はどうした)。
スマホを解約して折りたたみ携帯かかんたん携帯にしようかとは何度か考えた。端末代が高いのでまで実行していないけれど。
気がつくと延々とスマホの愚痴を書いている。
ぼーっとすること。眠かったら眠ること。無理に食べないこと。何かは口に入れること。
できれば日光に当たること。無理なら窓際で過ごすこと。外を歩くこと。無理なら家で軽い運動をすること。(筋痛症の症状がぶり返さない程度にすること)
転がりやすい球を穴に落ちないようにあっちこっちへ誘導しているような気分だ。
意識がはっきりするので、人に会いたいと思う。
しかし体力を使いすぎると疲弊する。
ぼんやりする時間を、もう少し大切にしたいと思う。






