言葉を放つこと──「マルセロ・イン・ザ・リアルワールド」フランシスコ・X・ストーク

(書かねばならないようなことを書くようにしないでいたいと思っていたら、記事を書くためにあけたウィンドウと二日間にらめっこすることになった。)

「マルセロ・イン・ザ・リアルワールド」フランシスコ・X・ストーク作/千葉茂樹訳 (岩波書店STAMP BOOKS)読み終える。ほぼ二日間その世界の中に入り込むように読んでいた。

物語はマルセロが研究所で脳の反応についてのセッション(検査)を受ける場面からはじまる。彼はアスペルガーに近い発達障害を持つ。彼には耳で聴く音楽とは別の『内なる音楽(インターナル・ミュージック)』がある。それは音のない感覚だけの音楽で、マルセロが探す時にはいつもそこにある。
自閉症者や障害者をモチーフにした物語にありがちな地の文の当事者への硬い描写や乾いた哀しさはほとんどなく、それは後半著者の描く「悪人」に対しての視線と同じくらい愛情に満ちていながらにして的確だ。父の要請によって法律事務所でひと夏働くことになったマルセロの日々において彼の「特別さ」がことさら際立って描かれるようなことはなく、新しい日常の中で突き当たるものをすべて分解し、そこが壁だと確かめたら引き返して迂回路を探すような細かな確認をひとつひとつしていく彼のコミュニケーション方法を読者である私たちは追体験することができる。彼を視点として現れる他者にもしっかりと描写が割かれ、後で読み返したときにくすっとするような反応もきちんととらえられている。

物語も半ばに至ったところ、ある実在のピアニストのポスターが印象深く掲示される。主である女性の暮らしそのものの比喩である部屋の中に置かれた、八十八鍵のキーボード(そしてたくさんのぬいぐるみたち)。右手と左手を別々の方向へ伸ばして、双方が双方を支えるように生きていくこと。ジャスミンという女性の内面を満たしている実行という生活。今までマルセロの世界の一番近くの他者として存在していたジャスミンが、一歩こちらの内面に踏み込んできた瞬間。

わからない固有名詞を携帯で調べながら本を読むということに少し慣れて、この時も触れられるならその音楽を聴いてこの本の記憶とともに刻んでおこうと動画サイトを立ち上げた。ピアノの音が途中でエレクトリックピアノの音色に自然に推移するコンサートの録音の一章、冒頭の音の繰り返す余韻とともに、カバーのイラストを見ているうちにどんな言葉による感想よりも前に涙がにじんできた。それはツリーハウスの窓明かりと星空に広がる枝影の下、草叢を手を繋いで歩くマルセロとジャスミンの影だ。二人の向かう右手には電線と街路灯の影が連なっている。

後半物語は一転して、謎解きめいた緊張をはらみ進みだす。マルセロは自らの動機を見出し、他者に描かれた筋書きを超えて自らの「問い」を頼りに見知らぬ道を歩いていく。
彼の神や宗教への問い、『特別な関心』が重みをなくしてしまうほどの「現実」に彼は直面させられる。けれどそれが物語や世間からの一方通行の、押し付けられた通過儀礼として乗り越えられることはない。マルセロが家族や親しい人に対して、そして動機となった写真の見知らぬ少女に見たものに誠実であるように、彼生来の良さを知り信じる人たちとの対話のなかで、マルセロは自分自身に何度も立ち返り、彼自身で考え抜き選び取り、決めていく。

終章近くのラビ・ヘッシェルとの対話、そして少女イステルとの対話は、苦難の隣り近所で常に生きている私自身の切迫感、そして私自身の醜さや悪の部分へと、顔を向けさせる。善と悪とに流れる力が同じよきものであるのだとしたら、それが流れていく枝々と結実しようとしている果実を私はどこまでも裁かずに「見ている」ことをできるだろうか。そしてそれが悪だと見極めた時に、それを止める決意をして行動することができるだろうか。マルセロがイステルに返答した言葉は、私自身への問いとなって心に沈んでいく。
マルセロがロザリオの祈りを大切にしていることや、神についての問いかけを持ち続けていることに私は共感して読んでいた。本の中に小さな部屋を見つけたように。宗教的であること、祈ることについて私自身がどうしても感じる違和感や罪悪感が、背中から抜けていく時にはじめて気に病んでいたことを知る。
作中、宗教の教義ゆえに失われた命についての記述がある。輸血拒否とテロは、日本でも起こったことで、特にサリン事件によって大きくあおられた漠然とした宗教への恐怖とアレルギーは、特に解決することもなく持ち越したままに私たちは現在を暮らしている。

神について考え、対話を重ねていくマルセロや伝道師であるラビ・ヘッシェルの生き方と、看護師という仕事が行動であり祈りであるオーロラ(マルセロの母)の生き方を、この物語は両方ともに肯定する。終章、マルセロが身の内に持つことになった問いに影響を受け長いあいだをくぐりぬけて返答されたジャスミンの考えが、物を作り生きていく人間にとって必要な本当の意味での謙虚さについて教えてくれた。
終止符を打ち、手放すこと。かけ離れる痛みと実力を認めること。祈りが世界と人とを分かち、人を神との、あるいはその人にとっての『特別な関心』との、関わりに匿ってしまうのではなく、祈りが、生が、音楽が、命へと向かい放たれることを。



■作中の本
「人間をさがす神」エイブラハム・ジョシュア・ヘッシェル →「人間を探し求める神―ユダヤ教の哲学」]A.J.ヘッシェル著/森泉弘次訳(教文館)
メヒティルトの朝露の詩についても気になっている。その引用のシーンと、その実現のような中庭のシーンは私の感覚と目にとってとても感動的な印象深いシーン。

isbn:9784001164039