2003/‎03/‎28 ‏‎0:37

25日の日記を書いたあと。
友人からメールが届く。
夜中。
それを読み涙を流す。

今わたしを疲れさせているこの激しい否定は、
わたしの中に棲んでいる。
否定をせずに行けるか?
どこまで生きていけるか、どこまで行けるのかと、明日をにらんで問いを投げた頃の強さで、もう一度闘えるか。


今日は休日で、病院へ行く。
ハナミズキが燭台のように枝を伸ばしてたくさんの花をつけていた。桜も少し咲き、ヤマブキのようなのも咲いていた。風が花びらを連れていき、うずをつくり、まぜあわす。
格好のおままごと日より。桜ご飯をつくれるね。

先週の木曜日に他所へ移るというカウンセリングの方とお別れし、99年、00年、01年、02年と見つづけてきた桜の並木たちともお別れ。あの商店街と並木道に植えられた植木鉢の花たちは、わたしの水だった。

とてもよく晴れた日で、行きに見た空を美しいと感じた。けれどそのあとコンマ1秒もあかずに胸が痛む。きれいなものをきれいだと感じるわたしを憎む、胸の中のやみ。絶望を感じた心の部分が、きっとそれはいつか突然に覆されるのよと言う。そして同時にそんな風に空を見てきれいだと言っている無邪気さが、あの男に付け入られる隙を生み、また被害を口にした声を憎ませる原因ですらあったのよと。告げる。
わたしはそれらの言葉を、ただ胸の痛みとして感じる。
きれいだと思う心を突き崩そうとする由来の知れない痛みとして。

痛みの向こうに悲鳴がすくんでいる。

最後だと知らずにいた長い沈黙のあと、わたしはそれを言葉にしてみる。
まだわたしはわたし自身のだまされやすさを、憎んでいると。
わたしのそうしたところを誰よりも大切に思ってくれていたであろう人たちがその時に際していちばんにわたしを責める人であったことを。
まだわたしは、わたしを許してはいないのだと思った。と。
そして、その時のわたしのすべてを省みずに肯定するのも変だし、すべてを否定することもできない、まだうまく線を引けない、と言った。

今日、病院にて最後のカウンセリングでどんな事を話したのと聞かれて、上のことを話す。
原因は自分にあったと思ってしまうのと問われてうなずいた。その時の人はもうだれもいなくて、だれももうそんなことを覚えていなくて、今やわたしの頭の中にしかそれはなくて、と、このところのわたしの言っているようなことを先生は言われたので少し笑ってうなずく。
一年続けたバイトで働いている今のわたし、新しいわたしになって、その時はそうだったかもしれないけれど(だまされるような)今とその頃と変わったという気はしない?と聞かれた。変わったところはあると思います。けれど人間そんなに変わらない。と答えた。
またもし同じような人間に会ったり、まったく別のでもわたしをだまそうとしている人、掠め取ろうとしている人の意図を、今度こそは見抜けるのだとはわたしは思わない。
あの時つけこまれたわたしの弱さ、現実感を失い茫然とするようなことは今はもうほとんど無いけれど、どういう風に強くなっても鍛えていっても、必ず人間には弱点というものがあるということを、わたしは忘れることはない。

今やわたしの頭の中にしかそれはないと先生は言われる。
それをどうにかしていくこと、新しくある今を大事に考えること、をしていけばそんなに過去のことは考えなくなる、遠くなっていくと、これまで繰り返し、言われたことと同じように先生は言った。これだけ長い年月が経ってもう許してあげなければかわいそうだとも言った。それにはわたしは涙した。今を大事にし、過去を手放すことを強調する先生に、わたしは自分の言葉で言い換えた。
悔いがあるとして、そこに返していくものがあるとして、それをするのは、前に向かってなにかをしていくことだと思う。

今やこれはわたしの頭の中にしかない。
それは今も過去ではなく現実としてこの日々の思考の狭間に侵入してくる力強いものだ。
けれどわたしはそれを、みずからを否定する言葉に抵抗しつづけるだけに消耗することで、無駄にしたくないと今思う。
この葛藤を人の中に持ち込むことを怖れる気持ちから、ほとんど攻撃的なまでに人の反応を怖れることに終始する日常を、静めたいと願う。
わたしを責めた人たちの言葉を赦し、
その締めつけた言葉の腐った紐を解き、
みずからとそれを放った人への恨みを放ちたいと願う。

わたしは過去でできている。けれど作り出す未来でありたい。
希望でありたい。

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