ほどけるまでの、長い、時間。 2003年01月23日
ほどけるまでの長い時間
2003年01月23日(木)02時57分58秒
こんばんは。
明日はお休みなので夜ふかしをしている私です。
悲しみのただ中にあった頃、私は「それ」以前の自分の明るさや、失った人との暖かい思い出などを、すぐには糧にはできませんでした。
どんなにイメージをひらこうとしても、現在との落差を感じてつらくなったり、恐ろしい事やつらい事が頭に割り込んで立ち現れてきて、私がする自分を浮上させようという努力は、何度も壁にぶち当たってこなごなに砕けました。
苦しみと、幸せは、やっぱり比較できない。というのが私の実感です。
比較する事がとても苦しい。
だれかより幸せなはずだから苦しんじゃだめだとか、つらいことよりも暖かかった思い出を取ろうとしても、赤子の泣き声のように懸命に、苦しみは私の関心を、意識を割くことを、求めつづけていたように思います。
私は始めその叫びの真ん中を見据えつづけ、どんどん具合を悪くしていきながら、それを見つづけました。
そして何度目かの波に乗って今度は右手だけを外へ出し、明るいことを覚えなおし、花の顔を覚えなおしました。
二本の木を育てるように、引き裂かれそうな気がしながら、左手の苦しみも右手の喜びも、置き去りにしないようにとばかり思いながら日々を過ごしました。
(どちらかの実感でどちらかを撃ち抜きたい気持ちも、いっぱい感じながら)
長い長い時間が経って、日なたの夕方にふと初めて深く息をついた日に、
カウンセリングの場で、黙っていられることが……言えないのでなく、黙って、そこにただ座っていられることが……できた日に、初めて、苦しみの結び目のいちばん上がひとつ、ほどけたことを知りました。
愛する人を失い、愛する人に注いだ自分の心をちぎられたような痛みが、長い長い時をかけて静かに、冷え、静まっていく日には、
とても遠くから、
日々のこと、
小さな愛しい思い出は
失われることなく
貴女の胸に帰って来ることと思います。
そしてその時が本当のさようならで、
また本当に、亡くなった人が貴女とともにあるということのはじまりだと思います。
どうか、苦しみ続ける御自身を、責める時には、そのことを思い出してください。
2003/1/R様へのメッセージより抜粋、改稿。