「シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性」鈴木雅雄(平凡社) より引用



以下引用。





序 テクストとその外部


  文学などどうでもよいと断言できる誰かのために、この書物は書かれた。既存の文学観に反旗を翻すのではなく、何らかのレベルで文学の無力を嘆くのでもなく、一つの単純な事実としてそう断言できる誰か、テクストは一旦書き手と切り離されることで、それ自体として美学的な、思想的な、あるいは社会的な価値を主張しはじめるという考え方を、ほとんど直観的にグロテスクなものと感じてしまう、そんな誰かのために。シュルレアリスムの中心には、その誰かを受け止めることができるだけの、愚かなほどの性急さがある。テクストはそこで、作品の匿名性にゆだねられてはならず、書く「私」、受け取る「あなた」を巻きこんで機能しなくてはならない。そしてシュルレアリストたちが常に複数であろうとしたのは、書き手からテクストへ、テクストから読み手へという健全で白々しい回路が乱調をきたす空間を作り出すことで、テクストがその外部と取り結ぶ特異な関係性を誘発するためだったのではないかという予感が、私たちの出発点である。




「シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性」鈴木雅雄(平凡社)より。
isbn:9784582702743
再読中。