2013/12/19 20:42

寮美千子さんの「父は空 母は大地」をテキストにしたリーディングセッション。in明大前キッド・アイラック・アート・ホール
鋭い太鼓の音が鼓膜とホールの空間を打つ。矢中鷹光さんのヴォイスフルート。サックスと篳篥の間のような不思議な音色をよく聴いているとそれは人の声なのだ。けれどまたすぐにリードの震える美しい響きの楽音に聞こえてくる。
前半は矢中さんのライブ、そして後半は「父は空 母は大地」を朗読しながらのパフォーマンスとなった。
あかるさんの激しい舞い。水木菜花さんの朗々とした改めての全文の朗読には強い哀惜が込められていた。

終演後、矢中さんの200年も前の栃の木から手作りされたというオリジナルの12弦楽器、LYRAを寮さんがノリノリで奏でていらっしゃる時に薄く彫り込んだサウンドホールのヘリに触らせてもらった。共鳴する、古くよく乾いて弾かれるために削り出された形。木質の内側の微細な空洞がみな共鳴しているんだろうか。

呼ぶことができるためには名前が要る

起きようとしても起きられないあまりにも強い夢の中であなたの名前を呼んだ。あなたはどこにもいない。わたしがその名前に綻びを作り、どんな風に呼んでいたかその響きの閉じるところを忘れてしまってから。
だから夢の中でもわたしはあなたの名前を発音しない。
心の内側で強く呼ぶ度に象徴がかすかに浮かび上がる。
それは呼ぶたびに少しずつはっきりするけれどそれでもわたしはあなたを呼ばない。

夢から醒めて本当に胸が痛かった。
あまりに夢が強いので、目を開けていても目に入るものを材料に夢が勝手に綴られ続けるのをやめなかった。
動けず、両手で痩せた肋骨の中心を温めながら、あの時に、もっとちゃんと憎んでいれば、こんなところまで、無力感の玉突きの結果を持ち込むことがなかっただろうかと考える。
そして思う。わたしは憎んだ、と。
夢の中で何度も相手の首をはねに行こうと強く望むくらいに。止まらない空想の中で何度も相手の首をこの手で締めるくらいに。
(それは顔のおぼろげな加害者よりも、その後に残酷な仕打ちを良いことだと思ってした人たちに向かった)

人を憎むことがこの世界に持つことのできる面積はとても小さい。まっとうな手段では。
その深い感情を燃やし切るまで他人に付き合える世間というものは、最小の単位である家族であっても、友人であっても、存在するのかどうか危うい。
わたしの場合は失敗をし続けた。仕事としての上での仕事以上に真摯な傾聴と、残り少なかったわたしの最後までとっておいた友人の言葉ではないいなくならなさが、かろうじて繋ぎ止めてくれた生の上を、その痛手は何年にも渡って横たわっていった。
今も胸に残るこういう朝の物理的な痛みと、わたしの形の変化の中にそれは残っている。単に、剥ぎ取ればいいというものとしてではなく、分かち難い深さで。

憎しみを持ちそれでも生き続けることは、技術だ。
どこまでも冷徹にその時引く糸を選び続けるような、そんな技術だ。
憎しみの形は人それぞれに違うので、わたしの技術があなたのそれの役に立つのかどうかわからない。
それでもせめてわたしはそれを初めから無かったこととして、言葉を与えずに呑むことだけはしないと、思っている。



(”加害者”のことは今も何も感じないほどの憎しみの中に入るか、この人が誰だか私にはよくわからないという感覚ゆえに何の感情も向け難い、と思うかのどちらかしかない。そして私に良いことと思って残酷な仕打ちをした人たちの多くは謝罪をしてくれたために私はとても喜んでしまって彼らを許したけれど、彼らが、自分のしたことのためにその後の私がどんなふうにすごしたかを、知ることはない。その罪悪感と恐れのために、それらのことを彼らが分かち合うことはけっして起こり得ないことなのだ。私は、私を愛してもいない人たちの日常の上に私の人生を横たえることに喜びを感じないので、もちろんそれらのことを実際に望むこともない。あえて言うならば、今このように相手を無駄に責めず過剰に許さず書けることがはじめてなので、それを書き留めようと記したところ)


※「あなた」に対応するものは、今までもこれからもこの世に存在したことはありません。あの世にもたぶん存在はしない。

※2 悲劇はその強度を持って行為者を規定しようとするけれども、本当に悲劇なのはほとんどの場合において"加害者"が加害者には成らないということだと思います。
そのことの不可能性を認識することなく、"被害者"に感情移入し、あるいは加害者という存在を有るものとみなすことで、私たちはその出来事の一番の痛手を見逃すことになる、これは、どんなに世の中において犯罪や事件と認められた出来事の(被害者の)中にも包含されている不可能性です。


(1/2追記)

踊り場より

本を読み終えて、これだけ落ち着いて満足した心地になったことがしばらくあっただろうか。分厚い本を閉じ、脇に置いて、壁にもたれる。

言葉にもならないような考えをただ巡るためだけに巡らせていると現前に踏み込んできて止まった音がピアノのメロディだと気づいた。その瞬間にも遡ってメロディらしくなっていく。
知らない曲のよく知っている低音の響きが一番手前まで踏み込んできたところで止まった瞬間に気づいてから、それからしばらくキルティングのレッスンバッグ(母のお手製)やそこに詰めた練習曲集のくたびれた側面、電子ピアノのある部屋の絨毯の匂いや白鍵を離した時に鳴る乾いたプラスチックの軽い音などを思っていた。
連想にまかせ質感から思い出すことにする。いくつもの知っている曲の響きが知識での連想においでよと繋げようとするのを素知らぬふりして、これはもう何度も思い出してしまったアップライトの蓋に指で描いた、何回練習したかという跡をその判読できない指の跡の曇りの塊として画として見る。
交通事故の、帰り道、ピアノの、怒られたので怒っていて被ったパーカーのフードで見えなかったトラック。
理性がなぜピアノの帰り道に横断歩道をわざわざすぎて道の真ん中を渡ったのか(しばらく歩道の端に残っていた白いチョークの○)、別の日ではなかったのかと問うのだけど、ピアノの帰りに、という脈絡はその感じを譲らない。
転んで、見ていたおじさんと行った交番で後にも先にも生涯で一度だけ筋肉疲労ではなく膝が震える。私はその時に感じたことを覚えていないけれど膝は死ぬということを認識している。丸い椅子。
明るいピアノの和音を展開した曲とそれをよく弾いていた幼い友人。ブランコで尋ねた彼女の幼馴染を彼女は好きかと、つまらないことを尋ねると思われたと思っていたけれどただ戸惑っただけだったのかもしれない。目の前の友人が自分の親しい友へ恋するということに。隔たったのは私だったけれどその時に感じた、自分は彼女の持つ永遠性とは違うものに踏み出そうとした、私の好みはじめたものが彼女の目に映る時のわからなさを、今はじめて許すことができたと実感を知らせる涙が幾筋も通り落ちていった。

言葉を放つこと──「マルセロ・イン・ザ・リアルワールド」フランシスコ・X・ストーク

(書かねばならないようなことを書くようにしないでいたいと思っていたら、記事を書くためにあけたウィンドウと二日間にらめっこすることになった。)

「マルセロ・イン・ザ・リアルワールド」フランシスコ・X・ストーク作/千葉茂樹訳 (岩波書店STAMP BOOKS)読み終える。ほぼ二日間その世界の中に入り込むように読んでいた。

物語はマルセロが研究所で脳の反応についてのセッション(検査)を受ける場面からはじまる。彼はアスペルガーに近い発達障害を持つ。彼には耳で聴く音楽とは別の『内なる音楽(インターナル・ミュージック)』がある。それは音のない感覚だけの音楽で、マルセロが探す時にはいつもそこにある。
自閉症者や障害者をモチーフにした物語にありがちな地の文の当事者への硬い描写や乾いた哀しさはほとんどなく、それは後半著者の描く「悪人」に対しての視線と同じくらい愛情に満ちていながらにして的確だ。父の要請によって法律事務所でひと夏働くことになったマルセロの日々において彼の「特別さ」がことさら際立って描かれるようなことはなく、新しい日常の中で突き当たるものをすべて分解し、そこが壁だと確かめたら引き返して迂回路を探すような細かな確認をひとつひとつしていく彼のコミュニケーション方法を読者である私たちは追体験することができる。彼を視点として現れる他者にもしっかりと描写が割かれ、後で読み返したときにくすっとするような反応もきちんととらえられている。

物語も半ばに至ったところ、ある実在のピアニストのポスターが印象深く掲示される。主である女性の暮らしそのものの比喩である部屋の中に置かれた、八十八鍵のキーボード(そしてたくさんのぬいぐるみたち)。右手と左手を別々の方向へ伸ばして、双方が双方を支えるように生きていくこと。ジャスミンという女性の内面を満たしている実行という生活。今までマルセロの世界の一番近くの他者として存在していたジャスミンが、一歩こちらの内面に踏み込んできた瞬間。

わからない固有名詞を携帯で調べながら本を読むということに少し慣れて、この時も触れられるならその音楽を聴いてこの本の記憶とともに刻んでおこうと動画サイトを立ち上げた。ピアノの音が途中でエレクトリックピアノの音色に自然に推移するコンサートの録音の一章、冒頭の音の繰り返す余韻とともに、カバーのイラストを見ているうちにどんな言葉による感想よりも前に涙がにじんできた。それはツリーハウスの窓明かりと星空に広がる枝影の下、草叢を手を繋いで歩くマルセロとジャスミンの影だ。二人の向かう右手には電線と街路灯の影が連なっている。

後半物語は一転して、謎解きめいた緊張をはらみ進みだす。マルセロは自らの動機を見出し、他者に描かれた筋書きを超えて自らの「問い」を頼りに見知らぬ道を歩いていく。
彼の神や宗教への問い、『特別な関心』が重みをなくしてしまうほどの「現実」に彼は直面させられる。けれどそれが物語や世間からの一方通行の、押し付けられた通過儀礼として乗り越えられることはない。マルセロが家族や親しい人に対して、そして動機となった写真の見知らぬ少女に見たものに誠実であるように、彼生来の良さを知り信じる人たちとの対話のなかで、マルセロは自分自身に何度も立ち返り、彼自身で考え抜き選び取り、決めていく。

終章近くのラビ・ヘッシェルとの対話、そして少女イステルとの対話は、苦難の隣り近所で常に生きている私自身の切迫感、そして私自身の醜さや悪の部分へと、顔を向けさせる。善と悪とに流れる力が同じよきものであるのだとしたら、それが流れていく枝々と結実しようとしている果実を私はどこまでも裁かずに「見ている」ことをできるだろうか。そしてそれが悪だと見極めた時に、それを止める決意をして行動することができるだろうか。マルセロがイステルに返答した言葉は、私自身への問いとなって心に沈んでいく。
マルセロがロザリオの祈りを大切にしていることや、神についての問いかけを持ち続けていることに私は共感して読んでいた。本の中に小さな部屋を見つけたように。宗教的であること、祈ることについて私自身がどうしても感じる違和感や罪悪感が、背中から抜けていく時にはじめて気に病んでいたことを知る。
作中、宗教の教義ゆえに失われた命についての記述がある。輸血拒否とテロは、日本でも起こったことで、特にサリン事件によって大きくあおられた漠然とした宗教への恐怖とアレルギーは、特に解決することもなく持ち越したままに私たちは現在を暮らしている。

神について考え、対話を重ねていくマルセロや伝道師であるラビ・ヘッシェルの生き方と、看護師という仕事が行動であり祈りであるオーロラ(マルセロの母)の生き方を、この物語は両方ともに肯定する。終章、マルセロが身の内に持つことになった問いに影響を受け長いあいだをくぐりぬけて返答されたジャスミンの考えが、物を作り生きていく人間にとって必要な本当の意味での謙虚さについて教えてくれた。
終止符を打ち、手放すこと。かけ離れる痛みと実力を認めること。祈りが世界と人とを分かち、人を神との、あるいはその人にとっての『特別な関心』との、関わりに匿ってしまうのではなく、祈りが、生が、音楽が、命へと向かい放たれることを。



■作中の本
「人間をさがす神」エイブラハム・ジョシュア・ヘッシェル →「人間を探し求める神―ユダヤ教の哲学」]A.J.ヘッシェル著/森泉弘次訳(教文館)
メヒティルトの朝露の詩についても気になっている。その引用のシーンと、その実現のような中庭のシーンは私の感覚と目にとってとても感動的な印象深いシーン。

isbn:9784001164039

「自殺と想像力」

『今年、自殺が急増しているというが、考えに考えて自殺を選ぶ人たちの悲劇は、そこに到るまでに懸命に働かせただろう想像力を、自ら閉じてしまうことの悲劇でもある。初めから想像力など一切捨てたかに見える政治家が容易に自殺しないのに比べて、物を考えるが故に死を迫られる市井の人たちは、あと一歩の想像力を自ら捨てることはないと思う。なぜなら、悲劇を想像する力は、希望を想像する力でもあるだろうからだ(読売新聞1999年9月13日付夕刊、8面、高村薫「座標軸」より引用)』



中学生の頃、学年末に配られる冊子にペンネームで小説を投稿した。前年に短いお話が掲載されたので、重ねて挑戦してみようと思ってのことだった。
性格は快活なのだけれど宙に浮かぶ、幽霊のような女の子が、主人公の中学生の男の子になぜかくっついて回る。特に筋書きも考えずに書いていく中で、主人公の友人の自殺の一報が届く。お通夜の中でささやかれる心ない言葉。死にたくて死ぬ人はいない、と既に死んでいるお化けである少女は言った。
強く意識することはなかったけれど、その頃から私の死への、そして「自殺」への関心は、途切れることなく今も続いている。

中学生の頃に強く疑問に思ったのは、自殺する人が特例であるかのような報道のされ方だった。
「彼彼女にはこういういわれがあって、死ぬのもおかしくない人だ」
そういう風に取れる報道に、疑問を感じていた。
自殺した人を「可哀相な特別な人」と名付けることにより、死を考えるまでに追いつめられた経緯は何だったのかということを考えずに済むように、原因と結果だけを簡単に図式化してしまっているように思えた。

私はこれまで自殺を「軽蔑する」と書いたり言ったりしてきた。
それは今思えば自分がそうなる可能性へのおそれ、そこへ陥らないための呪文のようなものだったのかもしれない。
それでも一年前までは全く死にたいと思うことはなく、自殺してしまうことが「どうして」か分からずに気になり続けた。その「分からない」というのは、心境が理解できないというのが半分、どうして死んでしまったのかという見も知らぬ人への無念が半分だった。

今は快復への傾斜がきつく、私自身の死への傾倒を感じている。
死のうとしたことは一度もないが、生きようという気力にゼロで、通りものがきても反射的に生へ駆け出せるかどうかが危うい(こんなこと書いて心配かけると思うけれど私は大丈夫です。しぶとく生きますから)。
こうなってから分かったことは、死ぬ人が死を選んでいるのではないということだ。


テレビの短いニュースの中で、箱の中の人たちは「何があったのでしょう」と問いながら、けれどその問いはあらかじめなにかの答えを想定したがっているように見える。そしてそれを匂わせ、導き出し、考え得る範囲の結論を付けて安堵する。
とてもわかりやすく翻訳された「物語」は、いとも簡単に咀嚼されて、そして忘れ去られる。自殺は特例として片づけられ、問題点は相変わらず何も見えてこない。

こうして考え続けていると、自殺について考えている自分が何もないところにあたかも何かがあるように決め付けているようにすら思えて、問題点など果たしてあるのか、理由などなく人は死んでしまうものではないのか、という考えが何度も胸をよぎった。
今も私は明確な答えを得ることができずにいる。


テレビのニュースでは一方で命は尊いと言い「若者の命の軽視」を嘆きながら、けれどその情報の処理の仕方では命を落とした人が一人の人間であるということを何ら伝えきれない。いたずらに亡くなった人のことを大仰に取り上げるか、悲しい事件ですと一言で終わらせるか、どちらにしても死という、自殺ということ、一人の命の重み、そのリアリティが、自殺にまつわるニュースの中からはなかなか伝わってこない。死を選ぶ人間の、己の命の軽視を嘆くことで締めくくられるニュースはもうたくさんだと思う。

だれもその死の重みを伝えられない。
若者の命の軽視を「嘆く」だけで誰かがやって来て解決してくれる「どこか」の出来事のように。
そうしたニュースの繰り返しが、死を選ぶほどの重責が絶え間ないこと、自殺者が増えていることへの慣れを呼び、自殺という一人の人間の死を記号化してしまう。刷新されていくニュースは、重苦しい出来事を全て切り離し、あちらの出来事として流していく。
こうして批判する私も、ひとりの人の死を、あの短い時間のなかで、伝える方法が分からない。

それでもそれを、関わりのない「どこか遠くの出来事」として処理してしまうことはしてはいけないと感じる。それを「なかったこと」にしてはいけない。

敏感な人や、子供たち、想像力を持つ人たちは、そうやって流されていくものを、ひしひしと感じ取っている。だがそれは簡単になかったこと、見えないものにされてしまう。
それを見続ける者は神経質、心の弱いものとして、排除されていく。
実際に暴力行為で弾圧されなくても、そうして「おかしなものたち」として日常の流れに排斥され続ければ、確かに感じるものを嘘だと言われてその人間はどう感じるだろう。
心はやがて悲鳴を上げるだろう。

他人のことは分からない。
子供の気持ちだって世代の違うものには分からない。
それでも、言わなければいけない言葉がある。
声に出し口に出し、必ず伝えなければならない言葉がある。

自殺はけっして他人事ではない。
それぞれがそれぞれであるために見えるものを、言葉を惜しまずに、伝えていかなければならない。


(1999年9月13日-web日記より。論旨に沿って改稿。)


※追記するなら、これは当時のことで、今の時代となってはどうぞ全力で他人事として下さいと私は言うかもしれない。