「才能のある子のドラマ」アリス・ミラー 引用

P.10
この人たちが相談にきますと、最初の時間から、自分たちの両親、少なくとも両親の一方は大変理解のある人だった、とか、周囲が自分のことを理解してくれないことが、ままありはしたが、それはおそらく自分のせい、つまり、自分が自分を理解してもらえるように、間違いなく表現しきれていなかったからだと思う、などという話を聞かされます。この人たちは、自分の一番最初の記憶の話をする場合にも、かつての自分である当の子どもに対して、まったく何の共感も示しません。これは、この患者さんたちが充分以上に内面観察力をもっており、そして何よりも、かなりたやすく他の人の身になって感じたり考えたりできることから考えて、とても不思議な現象です。──中略──その他に共通して見られるのは、自分自身が子ども時代にたどらされた運命に対する、真の、情動を伴う理解がなく、それにまともに向き合おうとしないこと。──中略──自分自身の真の欲求に関しては何もわかっていないことでした。一番最初に演じられたドラマの内在化はきわめて完璧で、子ども時代はよかったという幻想が破れることなく保持されるほどなのです。

[新版]「才能のある子のドラマ」アリス・ミラー著 山下公子訳 新曜社

「POPULOUS MAIN THEME」葛生千夏

No one did this, so you shall do this :
To stand for mighty will.
No one had this, so you shall have this :
The mystic chest of times.

Let your gazelles be flourishing,
And keep them from vanishing.

Call for thunders to tear off darkness,
Or shake the quake to wake.
When the earth dries and chaps too easily,
Tell rain to leave swamp behind.

You must feel so charmed
To see how they are true.

Though your arms reached for the heaven,
Your feet may be captured in marsh or sands.
How and when does the evil steal a peek at you ?

Take dew as your salve,
And meadow as your bed,
Lead your folks to grow,
Increase and build their land.
They are your love, good will, comfort, joy ── and pain.


誰もしたことがなかった、だからお前にやらせよう
大いなる意思の代理人
誰も持ったことが無かった、だからお前に持たせよう
幾多の時代を収めた、神秘の引き出しを

お前のガゼルを増やしなさい、
滅びぬように務めなさい

雷を呼び闇を引き裂き、
大地に再起の響きを導き、
地がたやすく渇きひび割れる時は
雨に命じ沼地を作りなさい

お前はきっと魅入られるだろう、
これらはまことの事なのだから

お前の腕は天にも届くだろうけれど、
足は泥砂にうずもれたままだ
いつどうやってお前の心に魔が差すのだろう?

露の滴を癒しとし、
草原をお前の寝床としなさい
鋤を引いて耕し、
彼らの国に繁栄を築きあげなさい

彼らはお前の愛情であり、善き意思であり、慰めであり、楽しみであり
──そして、痛みなのだ。


『POPULOUS MAIN THEME』

「THE LADY OF SHALOTT」葛生千夏

より

未来という感覚

幼い頃に、自分と分かち難い存在が若くして突然にこの世を去る。
わたしは子ども特有の回復力で日々のことに紛れ埋れ吸収し伸びて行く時間をすごす。
いちばん近しい家族でさえ胸を撫で下ろす。

理屈の通らない話だと分かっているのに、自分が長くは生きないだろうという感覚を高校生の終わり頃から持つようになった。
あるいは、成人後の、新しい社会へと出て行く時期にわたしが愚かで無邪気でいられたなら、その時期特有の加速によって、そんな感覚からは脱することができていたのかもしれない。

19歳の終わりの秋にわたしという人間は一度死んだ。
数年をかけてそれを知っていったというほうが、正確だと思う。
わたしを取り巻く人間関係も、一人の親友をのぞいて大きく変わり果てた。

自分というひとつのまとまり。
それは身体的な輪郭でもあるし、友達がある日突然いなくなったりしない、関係性の持続でもある。
それが徹底的に壊れることがあるということをわたしは知って、その残骸の中からわたしの核となるものを新しく拾い上げるのに何年もを要した。

普通の人にとっては毎日は過ぎて行くために過ぎて行く。
それをわたしのような人間のしている作業は、立ち止まらせる。
わたしにとって必要な言葉の密度は、他者にとって造り込みすぎた寄木細工のようなものと映った。
わたしは見送る。手を振る。未来へと向かう人々に。

わたしは今も未来という言葉を信じているけれど、それにわたしを加えることにためらう時間を身体のうちに持っている。
未来を思わないままに人よりも長く生きて、未来を信じないためになす事もなくいつの間にか死ぬような気もしている。

世界が変わってしまった経験をあなたはしたことがあるだろうか。
それまで有効だったあらゆる努力も尽き果てて、自分の歩き方を変えなければならなかったような、そんな経験を。

人も去り夢も去り現実のすべてはめまぐるしく去るけれど、ここからの未来というものがあるのなら、せめてそれを書き残そうと思う。

薄明から(引用)

人は薄明のうちに、謎とともに生まれる。もしも運命という石が見出されたとしたら、人はそれを限りなく透明になるまで、飽くことなく磨きつづけることだろう。ある人にとって、絵を描く行為は、このような薄明のなかから生まれるのだ。その種子は無心の巣のなかで芽生え、やがて運命の樹として繁茂するだろう。
この薄明のなかで、謎は何を囁くだろうか。薄暮のことを「犬と狼のあいだ」とフランス語で謂う。しかし、人間と獣のあいだにこそ、もっと深く限りない薄明がよこたわっていて、人の知恵では容易に届かぬ、幸と不幸とを彼らとともに分かち合う世界を、せめて彼方にのぞき見たいという誘惑には打ち勝ち難いであろう。人はかろうじてお伽ばなしの世界で慰められているが、星はいつも遥かに遠くにと光りつづける。

瀧口修造『余白に書く2』みすず書房 より

……あるいはもしあなたが風にあこがれて
地下から這い出るセミならば、
最後の土をかき分けた瞬間、
地上の目もくらむ光と同時に
足もとに深く広がるやわらかな闇を
あらためて認識するでしょう。
人々はともすると光と闇のとろけあった
乳白色の混沌の中にさまよいがちです。
(略)
もし精神というものをのぞける顕微鏡が有るとしたら、
やはり皮膚や花びらのそれと同じように
神に存在を約束されたものとして
映し出されるのでしょうか。
それが知りたくて、
それを確かめたくて私は私の精神に棲むものを
作らざるを得ないのです。

天野可淡『KATAN DOLL 〜fantasm〜』所収エッセイより

物たちからの問いかけ、到達しない愛(引用)

しかし、かれら物たちのすべてが、私の認識の枠のなかで、飼い馴らされ、おとなしくしているわけではない。
ある物たちは絶えず私に問いかける。
いや、私に謎をかけるのである。
私はかれらを鎮めるために、言葉を考えてやらねばならない。それがいまかれらに支払ってやれる私のせい一杯のものだ。

瀧口修造「物々控」’65
コレクション瀧口修造4所収、余白に書く

そんな悲劇が起こることの無いように、私はあえて彼女たちのガラスのリボンを解きます。人に愛されるだけの人形ではなく、人を愛する事のできる人形に。常に話しかけ、耳をかたむけ、人を愛することのできる人形に。
注意深く、彼女のガラスのリボンを解くのです。それが私の仕事だから。

天野可淡
『KATAN DOLL』所収エッセイ

神よ、わたしに
慰められることよりも 慰めることを
理解されるよりも 理解することを
愛されるよりも 愛することを
望ませてください。
自分を捨てて初めて
自分を見出し
赦してこそゆるされ
死ぬことによってのみ
永遠の生命によみがえることを
深く悟らせてください。

『平和を願う祈り』後半部
アッシジ聖フランシスコ

※死ぬことによって、とは安易に解釈するような「尊い犠牲」として自分を刻み付けるような醜悪なことではないだろうことは併記しておきます。

「シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性」鈴木雅雄(平凡社) より引用



以下引用。





序 テクストとその外部


  文学などどうでもよいと断言できる誰かのために、この書物は書かれた。既存の文学観に反旗を翻すのではなく、何らかのレベルで文学の無力を嘆くのでもなく、一つの単純な事実としてそう断言できる誰か、テクストは一旦書き手と切り離されることで、それ自体として美学的な、思想的な、あるいは社会的な価値を主張しはじめるという考え方を、ほとんど直観的にグロテスクなものと感じてしまう、そんな誰かのために。シュルレアリスムの中心には、その誰かを受け止めることができるだけの、愚かなほどの性急さがある。テクストはそこで、作品の匿名性にゆだねられてはならず、書く「私」、受け取る「あなた」を巻きこんで機能しなくてはならない。そしてシュルレアリストたちが常に複数であろうとしたのは、書き手からテクストへ、テクストから読み手へという健全で白々しい回路が乱調をきたす空間を作り出すことで、テクストがその外部と取り結ぶ特異な関係性を誘発するためだったのではないかという予感が、私たちの出発点である。




「シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性」鈴木雅雄(平凡社)より。
isbn:9784582702743
再読中。

「人々」エフトゥシェンコ

つまらぬ人間などこの世にいない
人間の運命は星の歴史に等しいもの
一つ一つの運命が、まったく非凡で独特で、
それに似ている星はない

たとえだれかが目だたず生きて、
その目だたなさになじんでいても、
人々の中で、おもしろいひとだった
おもしろくないということそのもので

だれにでも自分ひとりの秘密の世界がある
その世界にはこよなくよい瞬間がある
その世界にはこよなく恐ろしい時がある
だが、それはみな、ぼくらには未知のまま

人が死んでゆくなら、
ともに死んでゆくその人の初雪、
はじめての口づけも、はじめてのたたかいも
何もかも人はたずさえていく

たしかに、あとに残る本や橋、
機械や画家のカンバス

たしかに、多くのものは残る運、
だが、何かがやはり消えてゆく
それが非情なたわむれの法則

死ぬのは人間というより、それぞれの世界、
人をぼくらは記憶にとめる、罪ぶかい地上の人を

だが,実際,ぼくらは何を知っていたのか、その人たちのことを?
何をぼくらは知っているのか、兄弟のこと,友のことを?

何を知っているのか、ただひとりの自分の女のことを?
血をわけた自分の父親のことを

ぼくらは何もかも知りながら、何も知らない

人は消える
そのひそかな世界はもどせない

だから、消えるたびにぼくはまた
返せないから泣きさけびたくなる



『人々』エフトゥシェンコ

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『星の歴史─殺人衝動』獣木野生伸たまき)で出会い、新居昭乃さんの『スプートニク』冒頭の朗読の詩の作者の名前を聴き、もしかしたらと思い色々調べてみたところ、同じロシアの詩人エフゲニー・エフトゥシェンコの詩の一部だとわかりました。


獣木野生さんの公式サイト
http://www.magiccity.ne.jp/~bigcat/index2.html
の以下より引用しました。

http://www.magiccity.ne.jp/~bigcat/WHAT/miss01.html